2017.07.30

これを書き終える頃には日付を跨いでいる気がする。

最近はSWoPPに参加したりバイトへ行くことによってインプットがキャパを超え始めて、そうするとだいたいブラウザのタブを自分で管理することができなくなってくる。今まではその場で新規に興味のある”言葉”を見つけると、だいたいGoogleの検索上位記事をはてぶしてメモっていた。そこまではいいんだけど、あとで見返すと「どんな文脈でこのページをブックマークしたんだっけ」とか「あの時ブックマークしたけど今はもういいや」という気持ちが湧いてきて消してしまうことが多い。あとは適当に周辺知識を読むだけ読んでお終いみたいなのがほとんどだ。体感的には1, 2割くらい知りたい欲が消えて逃げていく感じがする。

自分は知りたいことにプラスして知識の最大化をするために少しでも必要なことは吸収しようと頑張っているけど、上記みたいな状態になると意味がなくなって自己嫌悪状態になる。こう、書いてみたはいいけど結論も何もなくて、特殊な知識に特化した人間にはなりたくない思いと、知識の流入先を捌けなくなっているという気持ちが葛藤しているってのを言いたかった。

昔(僕は体感したことないけど)と違って黙っていても情報は入ってくるし、消化する時間も集中していないと新しい情報が頭に入ってくる。社会問題とか言われてることが我が身に起こっているのかなぁなど。ちょっと真面目に考えてみると、インプット少ないときほど何かアウトプットしないとという焦りで雑なものを作り始めている気がする。そしてだいたい飽きて途中で投げ出している。ふむ。インプットをする行為とアウトプットをする行為を一緒くたにしてみればいいのか?

「何か調べる→kibelaに書き出す→抽出してブログにオープンする」くらいのサイクルをもっと丁寧に考えて行動してみるか。インプット増えても取捨選択をするのではなく綺麗にフローを作って流せばできないことはないだろう。


研究は孤独だと色んな人は言うけど、本当に孤独なわけではないだろうよ。ゼミやら発表やらで近い興味分野の人々で議論をしたりすることはできるし、研究室などに属しているならある程度周りの人にわかるように資料を仕上げれば興味を持ってくれるでしょう。

えっと、「孤独じゃない」と言いたいんではなくて、孤独なので厳しいということを言いたかった。逆の内容になってしまったのは筆が走ったという言い訳にしておく。研究できる環境に身をおいて、周りに親しい興味を持った人がいても自分で全てを、何もかも進めないといけない状況ってのが辛いんだ。別に代行してほしいわけではないし、そりゃ1人でもやるよ。楽しいもん。ただ、研究の会話をする人が周りにいないってのがこう、難しいんだ。

何書いても同じような内容になる気がする。

お前ら何しに大学来たんだよって書いてもいいかな。だめだよね。書いたけど。他人のことなんて放っておけと言われても、目に見える範囲で活動をしているのでそれが嫌だ。何かスタッフだと思えばいいのか。

井の中の蛙大海を知らず を脱して大海をもがきながら進んできたと思ったら、井の中に放り込まれた状況なのは本当に辛い。卑屈でもなんでもないけど僕よりも何か分野に精通している人がもっと周りにほしい。”議論”をしたい。

2017.07.09


 僕らには日常回はない。つまり毎日が序破急であり起承転結のだ。言いたいことはこれだけなんだけど、文章にするにあたってこの思考に至った経緯を書いていく。

 最近生活と心の変化を実感できるほどには決心の現れが生活に根付いてきていて、活動的であるし休息も適度に取れているので生産性が非常に高い。後半のコンテンツでも書く予定だけど、断捨離を通して身の回りを一気にリセットする目的で貯金と予定立てを始めたりもしている。要は結構人間らしくなってきたんじゃないかと思えてる。そんな生活をしているとき、漫画やアニメなどのフィクションでよく使われる「日常回」って不思議な表現だなと思えるようになった。 その回を抜き去っても物語に何も影響もがなく、何も進んじゃいないし変化もしていない。それが日常回。
 僕らは普段生活をしていて、何気ない日常でも無駄だったり何も起こらないという日はないだろう(個人的なことだけでなく社会全体として、環境全体として見たときには何か大きなことが起こっている)。インターネットを使えば今日、今、この時間どこで何が起こっていうるのかも把握できるから、昔と比較すれば世の中のことに僕らは詳しくなっているし、影響を与えることもできるようになっている。そんな僕らが見る「日常回」。はて、物語の中の人たちはその日常回に映らない毎日は「日常」ではないのであればなんなのだろうか。切り取った日常を移しているだけだとしたらあまりにも人間離れした毎日を歩んでいて恨めしい。じゃなくて、本編以外で時間が進まないことに違和感を感じませんか?雑多な生活ばかりが映されても困るけど、人生の進む速度があまりにも隔日的で一気に進みすぎる。そんなフィクションを貪っている僕らは自分の生活と比較してしまったり、同じように歩んでみようと真似してしまうこともある。まぁ上手くいくわけないんだけど。なんで上手くいかないかとかを考えてみると、僕らの人生は毎日着実に積み重なって物語になっていくからだ。フィクションの主人公が1日でできたことを、日常回を挟んで1週間あった話を、僕らは時間をかけて毎日組み上げていく。なんとかは一日にして成らずみたいな表現だけれども、そうじゃなくて、毎日が本編なんだってことが言いたい。僕らに「日常回」なんてものがあろうものなら、自分以外の人間が停止している必要があって、社会や環境が何も進まないことが必要だし、翌日には全ての記憶がリセットされていないといけない。何も無い日なんてないし、何かが起こっているから、毎日主人公。毎日本編。活動も休息も全てそんな気持ちで望むことで、結論まで長い長い物語を築いていきたいな。というポエム。


 ミニマリストとは言い様で、小綺麗な生活を行っている人たち全般をさせる言葉だと思う。はい。断捨離を進めています。段階的に進める感じで、いらないもののラベリングから始めて、途中で面倒くさくならないように実施期間とペインポイントの排除を徹底的にやっている。たぶん、8月下旬に家が空っぽになって、終わったらまた必要最低限のものだけが入ってくる。収納も全部破棄することでいらないものが明確になるし、捨てやすくなる。テンポラリーな収納はダンボールを使って、大きめのものは基本全部捨てる予定でいる。

 そんな感じで最近は捨てた後の家財道具をどこから調達するのか考えるのが楽しくて仕方がない。でも全部自分で一つ一つ決めるのは疲れるし苦手なので、一気にまとめて購入できるところが無いかな―と思いつつ、小物をリストアップしててダメそうな感じしかない。宣言だけでなくやるんだという気持ちを全面に出して頑張ろう。

2017.06.29

大学へ入学して生活してきた今までの自分を、上手に乗せ換える時期が来ている。決して大げさに言っているわけでもなくて、今これからを考えた時に学生のレッテルに寄りかかって生活していると、積み上げてきたものや積み上げていくべきものがやがて崩壊する恐怖感を覚えてる。具体的には卒業後の進路やキャリアであったり、自分の強みを活かした専門性などが"必要"になる時期が近いのだ。実感ができるのは学生のレッテルが外れるたときであろう。大学という教育・研究機関で知識を養っているという見られ方が消え、代わりに「何をしている人ですか?」という質問の解答が自分の全てになってくる。そこで所属会社を名乗ることもできるけど、働いているという事実は当たり前でありふれたものになるのでほとんど意味がない。それは自分自身ではないから。


社会は難しい。強い人が回りにいる環境に身を置くことで、自分の無力さや努力の足りなさが露呈する。成長した上で強い人が多くいる場所に挑んでいくとそこでは自分は平凡になることを自覚した。だけど今、劣等感は感じていない。どんどん吸い取れるから活かしていこうと感じている。あまり生活的に長く続けられるような気がしないので、全力をモットーにして成果を上げることを意識しようと思う。望んでいた状態・環境が今目の前にあるんだ。

2017.06.15

生活習慣が日に日に良くなっていくのを感じで幸せになる一方、進学とか就職について考えることで憂鬱になったりもしている。双方の内容について考えをまとめながら書ければいいな。


アルバイトが始まって、週に2日間早起きをしなければならない日ができた。水曜と金曜の隔日で出社しているので中日はもちろん早起きしなければならないし、全日も遅くまで寝ていることができない(寝付けなくなるため)。とてもいいことだし、一日活動しているとそれだけで成長した気になる。実際何も進んでいないんだけど。

で、何を考えているかというと、この気分の流れに乗っかって生活そのものを改善していこうと思う。就寝環境であったり、食生活に衣類の断捨離など。一般にミニマリストと言われるほどスッキリさせたいわけではないけど、散らかっていることで起こる心理的な負担と後回しにする癖を改善したい。ちなみに3回目くらいの挑戦なのでたぶん失敗する。いや、するでしょ。初回は単純に三日坊主、2回目はお金をかけて義務的に取り組もうとしたけど結局物が増えるだけで、3回目はブログにたびたび書いていたとおり鬱病になった(方便)ので挫折している。今回はやっていくことが明確にあって、今後も同じ生活を続けるのは心理的にも体調的にも厳しいと判断したので取り組む。後がないとか書くと大げさなので、後が無くなる前に対処するってことです。

Githubかなにかで管理しつつ、いや、Remember the milk とかで良い気がする。管理している現状を把握して、更新を滞らせないようにする工夫をしたい。あとは気持ちの問題なので、適度にバランスを取りつつ、夏が終わるまでに生活を改善できるよう長期的に取り組む。短期的な改善をしようと思うと体力が足りなかったりやる気にならなくて結局終わったりするので、それへの対処。週末にやっておくこととか、義務としてやることとは別で達成感を得ることができる作業を分離して、気持ちの切り替えをスパッとできればいいな。

書いていてなんだけどただの宣言になってしまった。


進学、就職。周りは、理由はどうあれ進学を諦めてる人もいたりして、自分もいいところ就けるならそりゃ進学やめるよなと思っていたら、就職したいと思える企業が諸般の事情で就職したいと二言返事できなくなってしまった。全部書いてしまうので危ない気がするので濁して書くけど、仕事を初めて同期に大学の(仲の良い)知り合いが大勢いる環境ってどうなんだろう。素直な気持ちとしては嫌だとしか言えなくて、でも落ちついて第三者目線で見ると働きやすいんじゃないの?とか思ったりするけど……。ある程度プライドを盾にして付き合ってきて、さらに手の内を知っている知り合いが同期になって、いわゆる生存とアイデンティティをかけた競争を同じ職場でするわけだ。いやー、厳しいよ。厳しいのかな。

競争・自慢・自分の話をするのが歳をとるにつれて苦手になってきているのを感じているので、自分はやっぱり進学かなという気持ちになる。いつかこの気持ちも言語化してここに綴れればなと思う。自分でもまだよくわかってない。

明日もバイトだ。

2017.06.12

前に記事を書いていた頃と比べると精神状態は大変良くなっていて、自身のやりたいことと挑戦していきたいことを中心に、適宜やるべきことを消化するような日々が続いている。言葉を発する機会は少ないことに変わりはないが(これに関しては悪化したが)特段問題があるわけではないのであまり気にしていない。

前回のポストを堺に、問題へ確実に向き合っていく方針を取った。簡単に言うと、滞る連絡は逐一伝えるようにして、チームメンバーを呼び出して一緒に作業をするようにした。どうしてそれに至ったのかというと、辛さの根底は他の人間が自分ほど作業をしていないのではないかという疑念と、どうせどうにかなるだろうという責任感の押し付けが手に取るようにわかることであったため、進捗よりもまずそれを改善しようと考えた。連絡責任を全て一度自分が回収し、その上でチーム内でお互いを見張る(共に作業をしていることで相手の進捗を実感することができる)ことを行った。作業の進捗は見える化をして担当に報告するように形にしたし、残り作業を全てメンバーの力量ごとに割り振ることをして、終わりを見せられるようにした。幸い、メンバーも自分と同じ感覚を持っていたため、お互いに吐露をして頑張ろうという決意をまとめて毎日のように一緒に作業をした。で、それらは4月終盤になんとか終わりを迎えた。

結局、コミュニケーションと作業の闇雲感が原因で進むものも進まなかったのかなと終わってから思う。他人の進捗を意識しすぎたり、上長の叱責をストレスに感じたりと、当時他にも思うところは合ったのだけれど、終わってみれば簡単で、同じ場所で同じように同じ作業をすればお互いのプライドもあってか責任感は芽生えるし、問題点に対してカバーし合うこともできる。やる気はあったんだ。ただそれを適切な形で仕事にぶつけることができなかっただけ。


研究という名目でサーベイばかり進めている日々が続いている。あとは院試への英語対策とかを並行してやっている状態。数ヶ月前の自分からしたらこれが望んでいた状態なので、幸せといえば幸せなんだろうけど、生活に彩りが少ない気がする。どうせ時間はあるんだし、もう少し別な事柄に挑戦していこうかな。義務感の無い、趣味として生活としてやっていきたいこと。とりあえず英語の試験があるのでそれは倒すべきで、空いた時間で断捨離とか生活環境の改善をしたい。

あとはそうだな、打倒孤独感。仕事や研究は1人ではできないけど、生活は1人でもどうにかしないと。友人関係とか色恋沙汰でパフォーマンスや生活リズムが崩壊するような状況を作らない強い気持ちを持って生きていこう。

2017.03.06

読んでいると吐き気のする設計・ソースコードが自分の中にはあって、 それを解読するのはたぶん、エクセルで画面のスクリーンショットを撮ってテストするより苦しい。 表現しにくい苦しみというか、胃もたれにような症状がやっている間は続く。 よほどひどいものに遭遇した場合最悪嘔吐する気がする。それくらい気持ち悪い。 これは去年のopentie戦争が終わる辺りから発生して、まず当時のバイト先で起こった。 もう見たくない・触りたくない現象で全然業務ができず、 リファクタリングしようにも社の体制的に厳しかった。というか、僕の裁量が小さすぎた。

この症状が出始めるのはだいたい Done is better than perfect. とか言い出すとなる。 状態が綺麗で、整っていないので全てのやる気が出ないとかそういうのに似ている。 ただ、この症状は決して悪ではなくて、ソースコードや設計を見たときに、 モヤッとする勘のような何かが働くので、直感が便利になる。

言い訳というか、別に全てのソースコードに対してこうした感情を抱くわけではない。 正直競技プログラミングや使用期限のあるコードなど、スコープが非常に小さいものに対しては何も感じない。 むしろ過度な抽象・多様化していると逆にオエッとなる。 自分で書いていて気づいたけど、ソースコード自体ではなく設計や苦し紛れの思考の痕がダメなんだろう。 言語自体のシンタックスが汚くても特段思うことはないし、 慣習として根付いていることに特別嫌悪感を抱いたりしない。 ただそこにある、全てを俯瞰したときに見える、モヤッとした気持ち悪いものが嫌いなだけだ。


自分に向いているもの、向いていないものはアルバイト経験とかでわかってくると痛感した。 今受託でやっていることは最悪に近いし、達成感など何もない。 ただ自分の書くコードに嫌悪感を覚え、謝りながら前に進んでいる感じがする。 逆にバイト先ではインターネットを見るのが億劫になる程度には楽しいと感じている。

昔から自分の意思が弱かったり、単純に自信が持てなかったりすることが多く、 初対面の人からの印象はとても薄いと感じている。 何かを自慢するのは後から後悔して死にたくなるし、 功績を褒められると、褒められている自分の感情が調子に乗っている感じがして気持ちが悪い。

だからずっと裁量で何かを改善したり作成したりするのは苦手だと思っていたけど、その逆だった。 設計に沿って何かを進めるのは気が重く、手が止まったりすると再開するのが難しい。 変わって、自由にやれるととにかく気持ちが楽で、自分の作っていくものが自分の好きなような形で、好きなように拡張できる。 自由な場があるだけでこんなにも単純作業であれ楽しいのかと思えたりした。

この話はゴールデンウィークあたりにまたできればと思うけど、たぶんメインのブログに書くと思う。 この体験のおかげで色々自信や決心が付いた気がする。

2017.03.05

日付をまたいでしまったので投稿日と差異がある。悔しい。

今日は歩く日だったのでとにかく歩いて、 朝帰りからの午前起きに家財用具買ったり出かけたりで本当に疲れた。 ただ、疲労感は嫌なものではなくて、やりきった感溢れるものであったので、 よく寝れそうな気がする。明日の準備があるんだけれども。 Fitbit的には14000歩と14kmちょいの移動を計測していて、過去最高となった。 今まで意識していなかったけど、アップタイムとかも計測できているので、 活動していた時間を目のあたりにすることができて大変良い。 睡眠以外は日次目標をクリアしていたので、満足感がある。


卒論のテーマというか、結局研究室でやりたいことと研究室として取り組んでいることに差異がありすぎて、 このままで大丈夫かなぁという気がしてくる。 ただ、前例として個人テーマを進めている人も多いので、その流れに乗ってやっていきたい。 テーマの時期決定はだいたい秋学期だったような気がするし、 研究室としてもあまり焦らせないような環境だった(あるインシデントのせいでそうなっている可能性がある)ので、 数ヶ月でスッとやっていけるよう知識の下積みをもっとしていきたい。

思考録に書けないこと書こうと思っていたんだけど、 この内容は受け売りな気もしてきて、結局あとで考えるリストに入ってしまった。 考えて、内容がどこかで聞いたことある内容でも書いてみるか。


妄想録みたいになってきたな…。